赤米
 赤飯おこわかとおもいましたが、これは赤米でした。赤飯のルーツといわれるものです。赤米には、もち米とうるち米の2種類がありますが、これはもち米のほうです。もっちりと噛み応えのある食感は長兵衛のような富山県人の好むところです。ごま塩をふって食べると赤飯おこわと何ら変わりません。
 赤米は、長崎県対馬・岡山県総社・鹿児島県種子島で神社の供物用としてわずかに伝承されてきました。しかし、かつては日本各地で赤米の栽培は行われていたそうです。薩摩藩では、年貢米の半分は赤米であったとも聞きました。現在では白く輝くコシヒカリの名産地「米王国とやま」と言われる富山県でも、戦前までは赤米の栽培が各所で見られました。その後の農業政策により赤米は、白米に害を及ぼす雑草として農民の並々ならぬ努力によって完全に駆徐されたのです。赤米駆除は、他県でも同様でした。
 最近は健康ブームにのっとって、今また各地で赤米の栽培が見られるようですね。繊維質に富み、ミネラル分も豊富で健康に宜しいとか。赤米のパッケージには「縄文米」「古代米」の表示があり、埴輪の絵や縄文土器の絵が描かれているのを目にします。赤米は日本の米の原種であり、弥生時代か或いは縄文時代に日本に伝播した。赤米は古代稲作文化のロマンだと言うわけで古代遺跡のある町では、赤米を村おこしのための商材としています。
 高岡瑞龍寺には高岡に赤米を伝えたという人物埴輪ではなく達磨さんが祀られていています。その達磨さんは「碧瞳達磨」と呼ばれ、青い目をしてキリシタン宣教師のようなケープを身に着けた独特の風貌です。この「碧瞳達磨」にまつわる赤米伝説は次のようです。
高岡山瑞竜寺碧瞳達磨
 「達磨は中国から運ばれてきました。到着を待って箱を開けると達磨をくるんである藁に一本の穂が付いていました。ある物好きな者がこれを田に植えたところ見事なもち米が実りました。このもち米は中国伝来のものだということで「唐干(からぼし・とぼし)」と呼ばれ近年まで砺波・小杉地区で作られていました。」この唐干とは赤米のことです。唐法師・大唐米とも呼ばれていました。この説話には赤米=外来種のもち米との意識が強く働いており興味深いです。
 赤米を漠然としたイメージで直ちに「縄文米・古代米」と表現して起源の古さばかりを強調するのはどのようなものでしょう。それでは、赤米の真の姿は見えてきません。    赤米のもち米は、アジアの各国に広く見られます。赤米のほかに黒米という黒い色をしたもち米もあり、こちらの黒米のほうが日本の赤飯おこわに近い味だとか。タイ・フィリピン・インドネシア・ベトナム・中国雲南省・・・。その国々では、おいしい赤米黒米料理があり、特別な日の行事食のひとつともなっているのです。能登のキリシタン料理の赤米や青い目の達磨にまつわる赤米渡来伝説は、かつての大航海時代、東アジアを舞台に時代に、アジアの国々と北陸との間に赤米の食文化交流があったことを物語っているのではないでしょうか。北陸の人のもち米をよく食べる習慣のルーツは、東アジアとの赤米交流にあるのではないかと予想しますがいかがでしょう。
富山県人はもっちり粘りけのあるもち米が大好き
赤飯おこわもよく食べる。もち米消費は日本一だ。
 また、赤米は江戸時代にさかんに行われた新田開発にはなくてはならない稲でした。野生稲に近い性能を持つ赤米は、劣悪な痩せた土地でも急斜面でも雑草のようによく育ちますので、新田開発間もない水田耕作の主役でした。新田では多くの場合先ず赤米を栽培し、年月を経て水田に有機物が溜まって熟田化したところで白米に切り替えるという方法とられてきたと考えられるのです。赤米=古代米とばかり考えていては、このような赤米の歴史は見えてきません。
 それにしても、この赤米はものすごく歯ごたえがあります。この歯ごたえ、現代食に欠けているものです。

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