大根と人参のお酢和え
 我が家の常備菜のひとつ「お酢和え」。干柿が添えられています。それがキリシタン料理に入っているなんて・・。余りにおなじみの料理なので何とも言いかねますね。とりあえず、これからお酢和えを食べる時には、「アーメン」と申してみるのも宜しいかと思います。「くろづくり」「ひろうず」もしかりですね。
 「大根のお酢和え」と富山では言いますが、「大根なます」が一般的でしょうか。大根を千切りにおろして塩をし、きゅっとしぼって酢・醤油・砂糖で和えます。お正月・お祭り・報恩講・・・晴れの日の料理に欠かせない一品です。生月島の「カクレキリシタン料理」にも2山盛りという変わった盛り付けをした大根なますがありました。
大根は、遠く地中海沿岸が原産地で、シルクロード経由で日本に渡来してきた外来植物です。一説には、稲の伝来とともに大陸から日本へと伝わったとか。
 日本人はこれを日本の気候に合わせて、また日本人の嗜好に合わせて改良を重ね、太くて丸くて長く、そして甘くて辛くて瑞々しい日本特有の大根の形に変化させました。女性の腕や足に例えられるような大根があるのは世界で日本だけでしょう。そして、煮る・蒸す・おろす・和える・切干にすると様々な調理法を工夫しました。また、かつらむき・千切り・イチョウ・サイコロ・・・とカットの仕方も様々。
 富山の食文化においても大根は大活躍です。「お酢和え」「大根おろし」「おでん」はもとより、「やちゃら」「大根の味噌田楽」「鰤大根」「にしんの大根寿し」、冬仕度には一冬分の「大根の漬物」を漬け、春には食べ残った大根を水出しして酒粕で煮て「こうこの煮たが」を作る。魚とともに味噌汁に放り込む。青い葉っぱは棄てずに茹でて細かく刻み、味噌で和えて「よごし」を作る。富山は水のよいところゆえ、大根も美味です。大根は富山の食文化に誠に深い根を下ろしております。さらには、郷土の化学者高峰譲吉のタカジャスターゼだって大根に含まれる酵素なのです。
鰤大根
山芋と大根のとろろ
お酢和え 唐辛子・打ち豆・干柿を入れて
やちゃら イチョウに大根を切る
いとこ煮にもサイコロに切った大根
鰤を焼いてたつぷりの大根おろしで食べる
 その大根は、いつから富山にあるのでしょう。
 そんなこと、今まで考えたこともなかったです。
 高岡市瑞龍寺法堂の天井には、格子枠のひとつひとつに美しい草花の絵が描かれています。その数は100点あまり、狩野探幽の弟、狩野安信(1613-1685)の作です。その草花の中には、カブラ・大根などといった食材も描かれているのです。古い絵で分かり難いですが、確かに私たちが食べているカブラと大根ですね。この絵など、北陸への大根食文化の伝播を考えるに役立つ参考資料のひとつではないでしょうか。高岡市瑞龍寺法堂が完成したのは、明暦2年(1656)と言いますから、少なくともそのころには大根食文化は始まっていました。
 わざわざ天井画に描かせるほどですから、大根とかぶらは、前田のお殿様の大好物だったのかも知れず、また「領民たちよ。ふるさとの美しい水を利用して大根やかぶらを植え育てるのだ。」と、殿様の奨励の意向も伝わって来る様な気もして、瑞龍寺を訪れるたびに興味深く拝見しております。
 ただし、その頃から、大根のお酢和えなる料理があったのかどうか・・・。
瑞龍寺法堂の天井画より 大根とかぶら
 またさらにさかのぼってキリシタンの時代に大根のお酢和えがあったのといえば、分からないと言うしかありませんね。
 少し視点を変えてお酢和えを作る道具に注目しみてはどうでしょうか。「大根のせん切りおろしかね」です。これは、いつから、あるのでしょうか。アジアでもヨーロッパでも台所に「おろしがね」は見られます。ある時には、スパイスを削り、チーズを削り、そしてある時にはパスタを細く削りだす、また固い野菜を細い糸状にスライスする。この便利な道具はどのような経路で伝播したのでしょうか。
平松洋子著の『アジア おいしい話』という本にはベトナムのおろしがね「ヤオ・パオ・ゴイ」が紹介されていました。ゴイは和え物のことだそうです。それは「何の変哲もないブリキ板に、ボツボツと無数の尖った穴を斜めに開けただけ」の道具。「瓜やきゅうり、まだ熟す前の青いパパイヤなどの固い野菜をヤオ・パオ・ゴイで細い糸のように千切りにして、そこへヌクマム(ベトナムの魚醤)やライムの絞り汁、唐辛子などを混ぜて合えてつくる、いわばベトナムの「サラダ」だ。」と書かれていました、
 このベトナム料理に大根は登場しませんが、私たちの「お酢和え」との共通点を見出さずにはいられません。私も「お酢和え」には必ず唐辛子を入れます。かつていつの時代にか、食文化交流があったに違いない。この話を読んだ時「お酢和え」の蔭に、東南アジアを含めての南蛮人たちの姿がおぼろげに浮かんできたのです。
お酢和えの脇役である唐辛子。これは、中南米原産の香辛料です。アメリカ大陸の発見とともに、15・16世紀にアジア・インド・ヨーロッパへと広く伝播しました。インドのカレーが辛くなったのもこの唐辛子の伝播があってのこと。日本への伝播は、ポルトガル船が伝えたとも、朝鮮出兵の際に朝鮮半島から伝わったとも。
「お酢和え」のルーツは、ピリ辛エスニックサラダです。

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