オルテリウスがイエズス会宣教師テイセラの日本図をもとに1598年に作成したという地図 (九州大学デジタルアーカイブスより)北陸ではcanga=加賀、novi=能登?、 bacasa=若狭、hiechigen=越前、hiechichu=越中 、hiechigo=越後の地名がみられ、能登半島が肥大化している。裏面には、インドおよび東アジアの美しさと豊かさについての記述があり、日本については、住民が器用で学問に熱心であることなどが記されているという。
はじめに
 「皆さん、長兵衛 明日の日曜日は隠れキリシタン料理を食べに七尾まで行って参ります。」
 5月22日土曜日、山元醸造の朝の恒例となっているラジオ体操を終えた後、社員の皆にこう申しました。朝礼の後、社員一同が揃ってラジオ体操をするのが当社の習わし。ダヤイダヤイ(やる気なく)やっている者も中にはおります(私です)。一瞬、皆当惑顔です。実は、どのような反応が返ってくるか昨日から楽しみにしていたのです。結構、性悪ですのでね。
「隠れキリシタン?何け、それ・・・。」「七尾? 七尾は、漁港や。能登島の牡蠣か日本海のうまい魚というなら分かるけどなぁ。」「そういえば、能登に『ホアグラの里』というのがあったが、あれけ?ホアグラ料理のこと?」「隠れキリシタン料理ちゃ、あんた、そっ何け?(キリシタン料理って一体それは何ですか?)」
 後から聞いた話によりますと、社長などは
「長兵衛のやつは、ついに悪い新興宗教の毒牙にかかったのではあるまいか。」
と仰せであったとのこと。そういうのでは、ないのですよ。ご心配には及びません。旅行に先立ち、能登についていくらかの下調べをしましたら、能登には「ミステリーゾーン」というのがあり今や観光名所になっていると知りました。
 先ずはUFOの町、羽咋市。羽咋には、UFOが多く飛来するというのです。地元の学生や主婦による目撃証言もあり、また地元の古社、気多神社に残る古文書にもUFO目撃を表すと思わしき記述があるというのです。「古文書にUFO・・・?」古来からの由緒あるUFO飛来地だということでしょうか。そして今、羽咋市にはUFOで町興しをしようという気概が満ち満ちております。「UFOパン」「UFOクッキー」「UFO饅頭」とお土産ものも数多く発売され、またUFO博物館「コスモアイル羽咋」なる立派な公共施設まであるのです。館の外観たるやUFOを模した円盤型。この博物館にはマーキュリーレッドストーンロケット、 マーキュリー宇宙カプセル、アポロ指令船、 ボイジャー惑星探査船、 アポロ月面着陸船、宇宙服など宇宙計画に使用された実物が展示されており人類の宇宙進出の歴史をたどることができます。
 また、最新のコンピュータグラフィックス 技術を駆使したプラネタリウム「コスモシアター」もすばらしい。宇宙ファンタジーの世界へと見る人を誘います。私など「アポロ宇宙計画」なんてと聞くと非常にそそられるものがあります。「大阪万国博覧会では、アメリカ館で3時間待って月の石を見たっけなぁ・・。ソ連の展示にもたまげたなぁ。」
 博物館食堂には、「UFOラーメン」なるメニューがあります。なんてことはない、普通のラーメンにUFOに見立てた輪切りのゆで卵、そして宇宙人に見立てたタコ・ウインナーがトッピングされている・・・。どこまで本気か分かりづらいところもある羽咋でした。
 そして押水町。なんと旧約聖書「出エジプト記」に登場する十戒モーゼの墓がこの押水町にはあるそうです。モーゼは知ってのように、紅海の水を自らの杖で押し分け、ヘブライの人々をエジプトから約束の地カナンへと導いた人。シナイ山にて、十戒を授かったのです。水を押し分けて・・・ん!それで押水?もしかして。とにかく、キリスト誕生前の紀元前の時代に活躍した人物です。
 富山県の竹内家が代々守ってきた「竹内文書」という古文書には、「モーゼはシナイ山に登ったあと天浮舟(UFOでしょうか?)に乗り、能登宝達に着きここで「十戒」を授かった。天皇の娘大室姫と結婚したモーゼはその後、538歳までをこの能登宝達で過ごし、三ツ子塚に葬られた」と記されているそうなのです。神代のダイナミックなお話が能登押水町と結びついているとは・・。小心者長兵衛にはついていけないお話です。しかも、その根拠たる竹内文書が富山に由来しているなんて。
 いくらなんでも、怪しいなぁ、この話し。しかし、第2次世界大戦の終戦直後の1945年、米軍がこのモーゼの墓の調査を行ったそうなのですよ。一体何の目的に調査したのか、調査により如何なる結果を得たのかは、未だ発表されていないのです。
 この能登モーゼ・ミステリーは、テレビ放送のバラエティ旅番組でも取上げられましたから、ご存知の方もおられるのでは?なお、「能登モーゼ伝説殺人事件」(荒巻義雄著 講談社)という推理小説も出版されております。興味ある方は一読ください。
またまたさらに、志賀町には・・・キリシタン大名として有名な高山右近の墓があるというのです。
 確かに高山右近は、前田利家・利長親子の庇護の下、26年間にわたって加賀藩のお抱えとなっておりました。ここ志賀町には右近の知行地があり、教会もあったようです。しかし、右近は、徳川家康がキリスト教の禁教令を発令した時、マニラ追放の身となりました。追放の地マニラでは、市民あげての熱烈な歓迎が右近を待っていました。が、熱病におかされ到着後40日目にして没。マニラ市民は盛大な追悼のミサを捧げて高山右近の遺徳を讃えたそうです。右近の亡骸はマニラの地に葬られたとされております。現在、マニラ市のディラオ広場には高山右近を顕彰して高岡古城公園と同型の右近像が建てられているそうです。
 志賀町に高山右近の墓があるとは如何なることか。そして、志賀町には、高山右近の御子孫が住んでおられるとのこと。右近の御子孫は代々医業に携わっておられたものが、今は測量事務所を経営しておられるとか?! 高岡城を測量設計した右近さんの御子孫が測量事務所を経営とは、高岡市民の私などは耳をそばたててしまいます。この志賀町にも、高岡古城公園にあるものと同型の高山右近像が建っています。この西森正昭作の右近像は現在、彼のゆかりの地であるマニラ・志賀町・高岡市そして高槻市の4箇所にあるのです。
高岡古城公園に建つ高山右近像西森正昭作 りりしい表情
 そんなわけでこれが能登の「ミステリーゾーン」です。「七尾の隠れキリシタン料理」も「ミステリー」のひとつに数える向きもあります。
 能登のミステリー伝説は、確かに好奇心をそそられるものの、心から信じる気になれないものばかり。しかし、ここで紹介した伝承の全てを「ミステリー=信憑性に欠ける眉唾もの」とひとくくりで片付けてしまっていいのでしょうか。 とにかく、七尾に行ってキリシタン料理なるものを食ってみるしかないです!
 今回は、私とともに能登隠れキリシタン料理の旅にお付き合いください。今回も、懸賞クイズがありますよ。賞品は、長兵衛醤油、北陸独特の甘い醤油です。「加賀の醤油はなぜ甘い」を読み、食してみたいという衝動に駆られながらも購入を躊躇しておられる皆さん、「口に合わなかったら困るしなぁ」と思っておられるあなた。ぜひクイズに答えて甘口醤油を入手してくださいね。答えは、以下の文章の中ですよ。  

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